純粋な楽しみ方
久しぶりに、友人と会ってご飯を食べて、お酒を飲んできました。
友人は、演劇で芸術系の大学へ行き、劇団なんかにも所属していた人なんですが、最近のドラマやら役者さんやらの話になりまして。
あの人は芝居がうまい、とか。あの役者さんはカッコイイとか。
それと同じぐらい、あの役者は下手すぎる、とか、あの演出はない、とか、あのドラマはつまんない、とか。批判的な言葉もたくさん出ました。
もちろん、いろんなものを知っているから出る言葉であり、たぶん「芝居の上手さとは何か」を知っていて、それを語るだけの根拠のある人なんだと思うんですよ。
ちょっと前まで、私はそれを、かっこいいなーって思ってたんです。
批判ができるのって、要するにそれだけの根拠があるってことだから、すごいなって。
でも、ふと、前と少し感じ方が変わっていることに気がつきました。
「そんなふうに感じて作品を楽しめないって、損だなー」って。
たぶん、批判をする人の理論としては、
『良い物を知らないから、こんな現状で満足してしまうんだ』
『本当に良いものを、自分の目で選別すべきだ』 という感じだと思うんですよ。
それに関しては、全然異論ないんですけど。
…でも、作品を楽しんだ方が、幸せじゃない? って(笑)
単純にそれだけのことなんですけど、なんかそう思えたんですよね。
その作品や、役者さんで充分楽しませてもらって、その上で「でもここをこうした方が好きだったかな」とか、楽しめなかったとしても、「ああ、これは私に合わなかったんだな」って思った方が、楽だし楽しい。
何事に関してもそうなんだけど、そっちのがいいなーって思いました。
私も正直「うわなにこのへたくそ」とか思っちゃうときがあるんですけど、役者さん(芸能人)は…お芝居だけを求められているわけではないというか…好きになってもらうのが商売というか…。
とにかく『プロ』として根性据えてメディアに出てるんだから、それだけで偉いなーっていう、いつもの結論に至ります(笑)
昔はよく、推理小説読んでるときには、誰が犯人かなって思ってたんです。
でも、途中から、そんなことより純粋にわくわくどきどきしながら、この物語を楽しもうって思ったんですよね。
なんか、その感じに似てる気がします。
友人は、演劇で芸術系の大学へ行き、劇団なんかにも所属していた人なんですが、最近のドラマやら役者さんやらの話になりまして。
あの人は芝居がうまい、とか。あの役者さんはカッコイイとか。
それと同じぐらい、あの役者は下手すぎる、とか、あの演出はない、とか、あのドラマはつまんない、とか。批判的な言葉もたくさん出ました。
もちろん、いろんなものを知っているから出る言葉であり、たぶん「芝居の上手さとは何か」を知っていて、それを語るだけの根拠のある人なんだと思うんですよ。
ちょっと前まで、私はそれを、かっこいいなーって思ってたんです。
批判ができるのって、要するにそれだけの根拠があるってことだから、すごいなって。
でも、ふと、前と少し感じ方が変わっていることに気がつきました。
「そんなふうに感じて作品を楽しめないって、損だなー」って。
たぶん、批判をする人の理論としては、
『良い物を知らないから、こんな現状で満足してしまうんだ』
『本当に良いものを、自分の目で選別すべきだ』 という感じだと思うんですよ。
それに関しては、全然異論ないんですけど。
…でも、作品を楽しんだ方が、幸せじゃない? って(笑)
単純にそれだけのことなんですけど、なんかそう思えたんですよね。
その作品や、役者さんで充分楽しませてもらって、その上で「でもここをこうした方が好きだったかな」とか、楽しめなかったとしても、「ああ、これは私に合わなかったんだな」って思った方が、楽だし楽しい。
何事に関してもそうなんだけど、そっちのがいいなーって思いました。
私も正直「うわなにこのへたくそ」とか思っちゃうときがあるんですけど、役者さん(芸能人)は…お芝居だけを求められているわけではないというか…好きになってもらうのが商売というか…。
とにかく『プロ』として根性据えてメディアに出てるんだから、それだけで偉いなーっていう、いつもの結論に至ります(笑)
昔はよく、推理小説読んでるときには、誰が犯人かなって思ってたんです。
でも、途中から、そんなことより純粋にわくわくどきどきしながら、この物語を楽しもうって思ったんですよね。
なんか、その感じに似てる気がします。
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